笑え。泣いてもいいからその次は。

肺活量落ちたな〜と最近思います。
楽器やってた時よりは確実に。
こんばんは、あなたのコモドです。
ママンが突然言い出して、映画を見てきました。
ダ・ヴ/ィ/ン/チ・コ/ー/ド
難しかった…。原作読みたい(未読なんで)
明日薬屋説話集と一緒に買ってこようかな。
ママンにキリストを産んだマリアとマグダラのマリアは違うんだよ!ってそこから説明する羽目になりました。
でも普通に生きていく上で日本にいる限りはあまり馴染みのないことかもしれません。
映画の感想はともかくとして、日本ってとかく宗教を本当の意味で布教させるのは難しいのだろうなと思いました。
歴史が辿ってきた道筋も、違うからね。
ところで、それぞれ別のことを考えていて何が悪いんだろうと宗教戦争を根から否定してみます。
私は私、あなたはあなた。
私には私の神様がいて、あなたにはあなたの神様がいる。
隣の人の幸せを願うことは大切ですが、それが隣人の考えを真っ向から否定することでは無いんじゃないのかな。
思うんだけど、キリスト教って織田信長解釈だよね。
啼かずなら殺してしまえ不如帰…あれ、違ったか?
キリスト教以外の人間をほぼ否定している。
日本人なのでこう思うのかもしれませんが、私は別に神様を否定してません。
一応こんなのでも昔は真面目に教会学校に通っていたのです。
誰かが作為的に作ったのでなければ、考えられないような体の機能がある。
都合の良すぎる体のつくりと、まるで罰のような病がある。


神様は命を与えてくれたかもしれません。
でも、この命をどう使うかは、自分自身です。
神様は間違ったことをしたら軌道修正を命じるかもしれません。
でも、その軌道修正も私の生きる道筋の一つ、選択の一つです。
迷ったら神様に聞くことも在る。そこから何かを捕らえて進むのは自分自身。


時々「神の名の下に」と行われる虐殺や戦争を見ると、本当に神様がそれを望んでいるのか考えます。
本当に神様がそれを望んでいるのなら、仏教で言う「末法思想」です。
結局は「神様の言葉」を「誰かが解釈」している。
その誰かの解釈を拾うんじゃなくて、神様の言葉を自分で受け取ることが宗教の本当の意味なのでは無いでしょうか。


昔読んだ少女漫画にこんな一説がありました。
神様ができるのは全部で三つ。
「命を育むこと」「命を見守ること」「神風を起こすこと」
神風についてはなんともいえませんが、そう考えると「神様が何かをしろと言った」というのは全部間違いなのではないかと思います。
だって見守ってるだけなのだから。
頑張って、自分の道を、命を、大切にしなさいって言うだけなんじゃないかと。



誰かに強要されるのでも、誰かに強要するのでもない。
それが私なりの「宗教論」です。